ホットヨガ歴4年半の慢心を一瞬で切り崩したニューヨークのヨガクラス

      2020/06/21

4ヶ月滞在したデンマークを後にして向かったのは、夫の駐在が決まったニューヨーク。

デンマーク留学前から、「いつかはフォルケホイスコーレのような教育機関を日本に作りたい」と思っていたものの、デンマーク人の気質やそれを育ててきたデンマークの教育、バックボーンになっている政府の助成金など、フォルケホイスコーレをそれ足らしめている要素を知れば知るほど、とても簡単に再現できるものではないと途方に暮れました。

そんな自分を待っていた、決まったスケジュールもなく、どこに向かっているのかも見えない毎日。
悶々とする中、まずは外に出ようと思って始めたのが、日本でもデンマークでもやっていたヨガでした。

遅刻や早退、私語は厳禁のスタジオで、レベルもテーマも決まったレッスンに集まった生徒全員が同じタイミングで決まったポーズや休息を取る。

そんな日本の大手スタジオ流のヨガに慣れていた私にとって、遅刻や早退はもちろん、先生を含めた談笑が時にはレッスン中にも起こり、「オープンレベル(つまりは誰でも大歓迎)」のレッスンに集まった生徒たちがそれぞれ自分の状態に合わせて頻繁にバラバラなポーズを取っているのは衝撃的でした。


日本のスタジオでは、鏡に映る自分が隣の人よりも綺麗なポーズを取れているかよく比較をしていましたが、こちらではそもそもレベルがバラバラなので比べようがなく、加えて私の通うスタジオでは鏡が意識的に撤去されていたため、自分のポーズを目で見て確認することすらできませんでした。

また、先生によっては言葉での説明を優先してデモンストレーションを省くので、正解となるポーズがどう見えるのかよく分からないこともありました。


「自分が正しいポーズを取れているのかを客観視して確認できない」

これは当初非常に気持ちが悪かったのですが、その環境で練習を重ねる中で、外ではなく内、つまり自分の感覚に意識を向け、痛かったり気持ちが悪ければポーズを少し調整してみてもっといい形を探す習慣が付いていきました。
もちろんポーズの基本形はあるけれど、一人ひとりの体の構造が少しずつ異なることを考えると、それぞれにとってのベストなポーズも違っていて当たり前だと、それは自分にしか分からないのだと気が付きました。

それに慣れた今となっては、言葉での説明があれば、目を瞑っていてもほぼレッスンに付いていけるようになりました。
そうすることで自分の思考が静まって体の感覚が研ぎ澄まされ、ただがむしゃらに体を動かしたのとは違う、体や心の表面を膜のように覆って感覚を鈍らせていた不純物が落ちたかのような、しんとした爽快感を味わうことができることを知ったのです。

デンマーク留学前、集団に溶け込もうとするあまり自分を押し殺し、もはや自分の感覚や感情とのつながりを失いかけていた私にとって、アメリカでのヨガは、外に向きがちな意識を内に向けて、もう一度自分の感覚を信頼する一歩となりました。
自分の感覚を信頼できるようになると、当初自分には一生取れないだろうと思っていたポーズも少しずつ取れるようになってきました。


ヨガとは、元々サンスクリット語でunity、つまり肉体と心をはじめ、あらゆるものの統合を表す言葉。

自分と同じように、外から見た理想の自分像に近付くために体や心に無理をさせ、もはや本当の自分自身とのつながりが見えなくなってしまった人に、このヨガを届けられたらどんなにいいだろうと考え、ヨガ講師の資格を取ることにしたのです。

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