自己理解の旅を続けてきた私が、MBTI=「自分の説明書」に出会うまで

      2020/06/21

小さい頃から自分という存在に強い興味を持って生きてきました。

人間全般のモチベーションや性質に関心が強いのですが、中でも自分という存在はもっとも身近で、外からだけでなく内からも捉えられるという意味で一番掘り下げ甲斐がある対象だったからかと思います。

小さい頃は占いの本(「こういった状況であなたなら何を選ぶか」という類の)を読み漁り、就職活動時の自己分析テストから会社で実施された強み発掘ツール、ストレングス・ファインダーに占星術まで(もう記憶の彼方に葬られたものも多数…)数々の自己理解ツールに時間を費やしきました。
どれも面白く、自己理解を多少なり助けてくれましたが、一部分だけ捉えた内容も多く、自分を包括的に理解する助けにはなりませんでした。

もう一つ、自己理解に強烈な熱意を持ってきた理由として、自分の内側を見続ける中で自分がいかに矛盾に富んだ存在かを思い知り、自分の中の二面の引っ張り合いによって引き起こされているさまざまな困難を乗り越えたいと感じてきたことがあります。

ユニークな存在でありたいと思う一方、人の目が気になって同化することを選んでしまう
意思は強いのに、失敗が怖くて挑戦できない
新しいことを始める時はすごくワクワクするのに、やり遂げる前に飽きてしまう
理解してほしいのに、誰かが分かったように自分のことを語ると苛立ってしまう
オープンでいたいのに、一度心を決めると人の意見に耳を傾けられなくなる
などなど

本当の自分がどちらなのかを理解し、その面にもっと主導させることで、自分をもっと輝かせたいと望んできました。
そして、この点に関しては、役立つ自己理解ツールに出会えずに来ました。

そんな中、アメリカに来てMBTI(マイヤーズ・ブリッグス・タイプ・インディケーター)に出会いました。

初めて自分のパーソナリティタイプについての説明を読んだ日、あまりに自分をドンピシャに捉えたその内容に鳥肌が立ち、涙が出たのを覚えています。

まさに上記の矛盾する二側面についての記載があり、その背景にある知覚機能の働き、なぜその習慣的な行動から抜け出せないのかが腑に落ちました
なぜ自分がこれほど自分自身に興味を持ってきたのかも分かりました。
今まで出会った誰よりも、このツールが自分を理解してくれているような不思議な感覚がありました。

そこからMBTIの虜になり、勉強を始め、現在は個人のパーソナリティタイプを診断するプロファイラーになるためのトレーニングを受けています。

知識が増えるにつれ、自分の習慣的な行動パターンにある脳システムが見えるようになり、今まではネガティブな意図や不注意等が原因だと捉えていた他人の理解しがたい行動の多くが、その人の持つ知覚機能ゆえなのだと理解できるようになってきました。

とは言え、MBTIは個人の偏った行動を正当化するための武器ではありません。
自分の特性を理解した上で自分をもっとバランスのとれた人間に成長させるヒントを得る助けとなるツールであり、自分とは異なる他者をもっと深く理解し、関係を発展させていくためのナレッジと捉えています。


「人の性質はnature(生まれつき)かnurture(後天的)か」という議論がよくなされます。
MBTIのベースとなったタイプ論を提唱したカール・ユングは、nature派でした。
よって、MBTIでは、経験や学習による「発展」はあっても、パーソナリティタイプが成長過程で変わることはないとしています。
同じタイポロジーの領域であっても、nurture派のツールもありますが、私自身はnature派寄りで、「生まれ持った(もしくは幼少期の経験により形成された)資質を活用してベストバージョンの自分でありたい」と考えています。

彫刻家ミケランジェロは、「彫刻作品のあるべき姿は石塊の中にあらかじめ存在しており、自分はそれを掘り起こすだけ」と考えていたそうです。
人の性質も同じで、人間はしつけや教育によってゼロから作り上げられる存在ではなく、むしろあらかじめ決まっているあるべき姿にいかにして近付いていくかを問われていると私は考えています。(ミケランジェロの彫刻作品と違い、「あるべき姿」は何種類もあり、そのどれを掘るかはその人に任されていると思いますが)

生まれ持った自分の性質を包括的に理解し、相反する二面も含めてうまく使いこなし、バランスのとれた人間になるうえで、MBTIはとてもパワフルなツールだと感じています。

 - MBTI