幸せのカギ、「自分を犠牲にせずに他者とうまくやっていく」ことをデンマーク人はどう学ぶ?

      2018/05/19

前回、デンマークにいると日々至るところに”民主主義精神”が垣間見えるということ、またデンマーク人は自分のコン
フォートゾーンを知ってそれを大切にし、また他者がそうすることも尊重するような印象があるということを書きました。

デンマークにこれを浸透させているのは何なのか?
私は、ユニークな「教育」こそが原点になっていると思っています。

2017年9月に訪問したデンマークロラン島の森の幼稚園

なぜか?
昨年の9月にデンマークの幼稚園・小中学校を見学したのですが、その全てで「民主主義社会で人とコラボレーションしながら価値を生み出せる人間を育てたい」というメッセージを耳にしたからです。

色々な人がいる世の中で、自分を大切にしながら他者と上手くやっていく方法を体得させる、という教育方針が、幼稚園に始まりその後も一貫して貫かれているのを感じました。
たとえ成績優秀でも、他の人と協力して何かをできる人でないと、評価されないようです。

中でも驚いたのが、幼稚園卒園までに目指されている状態がとても高いこと。(能力というより人間としての成熟を求められていることにレベルの高さを感じました)

・人の話をしっかり聞くことができる
・自分も守りながら人と楽しく遊ぶことができる
など、学校教育のスタート地点である幼稚園から「自分を犠牲にせずに他者とうまくやっていくことを学ぶ」教育がなされているようなのです。

◆デンマークの幼稚園

昨秋、デンマークの「森の幼稚園」を見学してきました。

ここでは、その名の通り、森が幼稚園の場として使われています。
お昼寝や先生と生徒たちの話し合いに使われる小さな小屋もあるのですが、基本的に子どもたちは天気に関係なく外に出て遊びます。

私が見学した幼稚園では、森の中に木でできたアスレチック(とも呼べないようないかだ型の簡易なもの)や縄を使ったジャンプロープのようなもの、その他ハンドメイド感溢れる遊具がありました。
何より、木の枝がそこら中に転がっており、虫も無数にいるので、遊具を使わずとも十分好奇心を満たせる環境です。

2017年9月に訪問したデンマークロラン島の森の幼稚園

 

この園で、特に印象的だったことが3つありました。互いに重複する部分もありますが、以下に紹介します。

①遊び方がほぼ100%子どもたちの主体性に任されていること

デンマークの幼稚園は、3歳から通うことができるのですが、ここでは先生から離れた場所で子どもたちが木の枝で打ち合いをしたり、またのこぎりを使って丸太を切り落とすこともあるようです。
先生は小屋の付近にいるので、森の中央部で遊ぶ子どもたちは、事実上先生の管理下から外れているのです。

自然の中で子どもたちに自由に遊ばせて怪我をしないのか、と聞いたところ、かすり傷などはあれど、大怪我はないとのこと。
子どもたちは、小さい頃からこの環境で体を使って遊ぶことで、自分の限界というものを自然と理解していくそうなのです。
実際、私も枝で叩かれましたが(笑)、ちゃんと力加減してくれていることを感じる強さでした。

子ども同士が喧嘩をすることもありますが、そういった時にも先生は簡単には仲介に入らないそうです。
ではどうするのか?
上級生(といっても4、5歳の子ども)が間に入り、それぞれの言い分を聞き、互いが納得の行く解決方法を提示することで、場を収めるそうです。

子どもを未熟な存在として捉えるのではなく、一人の人間としてリスペクトを持って接していることが伝わってきます。

余談ですが、同9月にデンマークのホストファミリーの家に一泊する機会をいただきました。

そこでホストマザーに6歳の息子さんの長所を聞いた際、「物事の理解が早く、恐竜の図鑑を買ってあげたら気付けば恐竜の名前と特徴を全て覚えていた」だったり、「お父さんを数年前に亡くしたクラスメイトがいるんだけど、未だに時々その子はどんな気持ちなんだろうと口にしたりするの。ちょっと考えすぎてしまうくらい人の気持ちが分かる子だと思う」など、自分の庇護対象というよりも一人の人間として客観的に子どもを見てよく理解していることに驚いた覚えがあります。

また、短所について話してくれた時に、”Sometimes,I need to guide him.”という表現を使っていたのも印象に残っています。(息子さんが、何をすると危険かの判断をたまに見誤る、という話の下りでした)
何気なく使った言葉なのでしょうが、”tell”でも”teach”でもなく、”guide”という動詞を使ったところに、不十分な息子を指導するというのではなく、彼が一人の人間として持って生まれたものを活かしてより良い人生を送れるように導こうという意思が垣間見えた気がしました。

先生や親にこのように接してもらうことで、子どもたちの中に、他者の良心や能力を信頼し、本人の主体性を尊重しようとするマインドが育っていくのかも知れません。

2017年9月に訪問したデンマークロラン島の森の幼稚園

②約40名の子どもたちが、それぞれ別の遊び方で楽しんでいること

木の枝で打ち合いをしている子どもたちもいれば、一人で土に隠れる虫を探したり木の枝を剥いて中を調べるなどしている子どももいました。

実情を知らずに憶測で言ってはいるのですが、日本の幼稚園だと、一人遊びをしている子どもは先生や親に心配されたり、或いは子ども間でも「一人でいるのはかっこわるい」といったイメージがあるのではないでしょうか。
デンマークの幼稚園ではそれが一切感じられず、各自が好きなことをとことん追求する様子がありました。

この中で、自分が好きなことや得意なことを自然と発見し、自分と違うことが好きな子・自分と違う秀でた能力を持つ子がいることを理解していくのでしょう。

③先生が、違いを隠すのではなくあえてそこに目を向けさせていたこと

小屋での話し合いでも考えさせられる場面に出会いました。

2017年9月に訪問したデンマークロラン島の森の幼稚園

ここでは、上級生が10人ほど集められ、自分の家族について共有していました。
こういった場を通じ、子どもたちは人の話を目を見て聞くこと、遮らずに最後まで人の話に耳を傾けることを学ぶようです。

さて、デンマークは離婚率が約50%と高く、両親の離婚を経験している子どももいれば、ゲイの両親を持つ子どももいます。

これが私が通っていた日本の小学校であれば、学校の授業で生徒に家族のことを共有させることはまずないかと思います。(親が怒って怒鳴り込んできそう)
辛い経験、人と違う経験には触れず、そっとしておいてあげるのが優しさだ、といった考え方がありますよね。

一方、デンマークでは、(相手を)知らないことこそが偏見を生むという考え方のもと、透明性が重視されているようです。
両親の離婚を経験した子どもに、「お父さんがいなくなってどんな気持ちか」を自分の言葉で語らせます。

ここで先生たちがすごいのは、子ども達間の偏見を生まないために、両親が離婚した子どもたちには「家が2つあるっていいね(デンマークでは親の離婚後も原則両方の親の家で一定期間ずつ過ごすというルールがあります)」と声をかけ、両親がゲイであることも、猫と犬ではなく犬を2匹飼っている、くらいのトーンで扱うこと。

もちろんいじめもありはするようですが、彼らの中には違いがあることは当たり前という認識が育ち、こういった愛情あるトーンで人との違いを受け止めた子どもたちは人との違いに寛容になっていくのかと思います。

◆まとめ

思ったまま書き連ねましたが、デンマークの教育現場を見て特に印象に残ったのが上記3点でした。

私が日本で受けてきた教育では、「自分の偏差値をいかに上げるか」がほぼ全てだったように思いますが、そうではなく、「自分と他者が持つものを掛け合わせていかにいい状態をつくっていくか」が重視されるデンマークの教育はとても新鮮でした。
(デンマークに限らず、欧州諸国に起源を持つオルタナティブ教育に共通する考え方なのかも知れません)


私たちは、本来豊かになるために教育を受けているはず。

では、その「豊かさ」とは何なのか?そんなことを考えさせられる時間でした。

日本で稼げるビジネスウーマンになろうと日々あくせく働いていた頃、経済的な豊かさを追い求めるならば精神的な豊かさは捨てざるを得ない感覚を味わっていました。
他者と調和しながら生きたい、そして自分の心が求める、余裕を持って目の前の物事を大事にしながら生きたいという人間的な欲求を押し殺し、他者との競争に勝ち、できるだけ多くの仕事をこなすために、感情を鈍らせてひたすら目の前のものを処理していました。
もしかしら、そんな社会に違和感なく順応できるように、日本の教育は「偏差値」という比較基準を導入し、感情なくやるべきことをこなすことや他者との競争への慣れ(私の考える”精神的な豊かさ”の対極)を促しているのかも知れません。

一方、デンマークでは、精神的な豊かさを育てる教育が、そのまま経済的な豊かさにつながっている印象があります。
(これを支えるのが、人々が将来に不安を抱かずに生活することを支えている強力な福祉制度)

どちらが良い悪いということはありませんが、私自身は、精神的な豊かさも経済的な豊かさも大事に日々を生きたい。
では、デンマークと異なる福祉制度を持つ日本で、これをただの妄想に終わらせず、現実的にこれを実現するためにはどうしたらいいのだろう?
そんなことについても留学先で考えてみたいと思っています。

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