「自分」ってなに?わたしは私で、でも私じゃない。”I LIVE IN a body”に込められたVedicの知恵

   

こんにちは、ERIです。

前回ご紹介した占星学に続き、「自分」というテーマつながりでもう一つ面白いなと感じたことがあります。

皆さんは「自分」を定義するように言われたら何と答えますか?
読み進める前に、ぜひ頭の中で言語化してみてください。

 

私が3ヶ月前にこの問いに出会っていたら、「日本在住の30歳日本人女性。性格は~で、~に興味があり、体型は~」と、自分自身の外見や性格を形作る特徴をランダムに列挙していたのではないかと思います。
体(body)と心の両方を含めて「自分」と捉えているからです。

私と同じような捉え方をしている方も多いのではないでしょうか?

このフォルケホイスコーレに来て印象的だったのが、多くの先生や生徒が「自分」と同一視しているのが「心」のみであることです。
先日も、Vedic Psychologyの授業をリードする学長が”I LIVE IN a body.”という表現を使っていました。(”I AM a body.”ではなく)

そして、「心」をさらに二分するならば、「精神・知的活動(mind)」と「魂・精神(soul)」になります。

Vedic Psychologyの世界では、あらゆるものを①object(客観的存在)、②subject(主観的存在)、③relationship between①and②(①と②のつながり)というフレームワークで捉えているようですが、「自分」という存在をこのフレームワークに当てはめると、①はbody、②はsoul、③はmindを指すと言えるでしょう。

学長はbodyやmindを除いたsoulのみに自身を投影しているそうで、結果どんな困難にぶつかった時でも、疲労感を抱くことがないそうです。
これ(「自分」をsoulと同一視すること)は学長のみならず、Vedicの世界における一般的な捉え方と理解しています。

余談ですが、この考え方がベースにあってこそ、輪廻転生(bodyやmindが死んでもsoulは永遠に生き続け、異なるbodyを見つけて形を持つ)のコンセプトが理解されるのでしょう。

「自分」を切り分ける

bodyは分かりやすいですが、mindとsoulとはいったい何なのでしょうか?

これはとても難しい概念で、私自身まだ理解しきれていませんが、mindは思考や感情などの反応(日常的に私たちの頭を占めているもの)、soulは人柄や性格など、mindが生み出す思考や感情のベースとなるものと解釈しています。

私自身は、body・mind・soulの中でも、自分の思考(mindの一部)と「自分」を同一視しているところがあったのですが、Vedicの世界では、「思考」は五感と同じレベルの「感覚」と呼んでも差し障りないような存在であり、自分(soul)の定義には関係のないものと捉えられています。

とは言え、感覚器は脳に大きな刺激を与える器官であり、ゆえに人間は多くの場合、感覚+思考に支配され、それらと「自分」を同一視しがちだそうです。

「自分」を客観視した先に

新たな「自分」の捉え方を知ったからといって、突然soulのみにアイデンティティを見出す段階には至りませんが、body+mindを自分と同一視するのではなく、一歩離れたところから客観視するようになったことで、大きく変化したことがあります。

それは、他者と対峙する存在としての自分(body+mind)を愛情と敬意を持って扱えるようになってきたということ。

もともと私は、自分は他者に愛され必要とされなければ意味のない存在だと捉えているところがあり、人の目を気にするあまり、いつも無意識的に自分を責めたり、自分の心よりも人からの評価を落とさないことを優先して行動するところがありました。
授業でも、groundedな状態(自分のsoulとつながった状態)でないと、他者の期待を基準にして動くようになってしまう、と言われたのですが、私自身まさにこの状態にありました。

body+mind+soul全てをひっくるめて「自分」と捉えていたために、他者と対峙する存在としての自分(body+mind)からうまく距離をとることができず、自分を他者と同じように外側から客観視することができていなかったのだと思います。

ですが、他者と対峙する存在としての自分(body+mind)を他者と同じ一個体として客観視し始めたことで、他者の期待を外れることよりも、ERIという存在をよりハッピーにし輝かせるために、どう選択し行動するかを優先できるようになってきたとのではないかと感じています。

たとえば、ほぼ全生徒が参加しようとしているムービーナイトがあった場合、仮にそれよりも自分は一人で本を読みたいと思ったとしても、以前の私ならなんとなく映画に加わるか、もっともらしい嘘の理由(体調が悪いなど)を告げていたかと思います。
でも、今は「私は本を読みたいから今日は参加しないけど、皆で楽しんで」と罪悪感なく告げて部屋に戻ることができます。

また、たとえば他者が自分に不利益のある誤解をしたとして、よほど大きなことでなければ、以前なら黙って我慢していたかと思います。
でも、今はそうではなく、相手の理解を促す行動をとれるようになりました。

こうした行動の結果、他者と対峙する存在としての自分(body+mind)のことも、他者のことも、より愛せるようになってきていると感じています。

 

もっと知りたい方に向けて

もし、この考え方に興味が湧いた方がいれば、以下の動画を見てみると参考になるかも知れません!(英語です)
今まで自分が教わってきたことを全否定された気がして嫌な気分になる方もいらっしゃるかと思いますが(私も初見ではそう感じました(笑))、ご参考まで。
Inner Worlds, Outer Worlds – Part 4 – Beyond Thinking
Samadhi Movie, 2017 – Part 1 – “Maya, the Illusion of the Self”


「自分」というテーマは本当に奥深く、私の理解も行動もまだ第一歩を踏み出したに過ぎない段階です。

私の理解や表現が不十分な部分も大いにあるのではないかと思いますが、読んでくださった方に少しでも意味が伝われば嬉しいです。

私がフォルケホイスコーレへの留学を志した最大の理由は、「自分らしく生きる」というテーマを深めたかったから。
少しずつではありますが、日々このテーマと向き合い、ただ学問として学ぶのではなく自分の身をもって掘り下げることで、核となるものに近付いている感があります。

残り1ヶ月の間に、これから数十年間付き合い続ける自分への理解をより深め、何よりも好きになるための行動を身に付けられたらと感じています。

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